毎週火曜日12:30、英国からの新着アンティーク公開。

ドリプレを通り過ぎていった猫たち。[前篇]

思い起こせば、この房総半島の山の中の土地を購入して、夫婦で開墾。バラ園づくりを始めてから20年近くが経とうとしています。その間、たくさんの猫たちとの出会いがあり、別れがありました。今回は、それぞれの理由で今はもうドリプレにはいないけれど、素晴らしい思い出を残してくれた猫たちのお話です。長くなりそうなので、何回かにわけてお届けいたします。

<2023.09.15>
2006年の秋に、この房総半島の地に今のカフェになる自宅を建てました。
川崎から引っ越してきたとき、アメショーの男の子、モイちゃんも一緒に、ここに連れてこられたのです。


モイちゃんは、ずーっと家の中で飼っていたので、ここに来ても、基本は室内飼いでしたが、スキを見せると外に出てまったりとしていました。


そして、しばらくして、モイちゃん一人だと寂しいよね、ということで、同じアメショーのブラックタビーのピピちゃんをもらうことになりました。


モイちゃんは、まだ子猫だったピピちゃんを自分の子供のようにかわいがっていましたモイちゃんは男の子だけど、なんだかおばさんにみたいな猫でした。


この頃、僕たちはガーデンづくりを始めたばかりでした。

月曜から金曜まで東京の会社に通って、金曜日の夜にここに戻ってきて、週末はガーデン作業に没頭していました。

秋に越してきて、その冬に初めてのイギリスへアンティークの買付にでかけたのです。

そして、日本に戻ってきたら、ガリガリに痩せて顔中傷だらけの白い猫が現れたのです。

彼こそ、その後の伝説となった、チロでした。


すぐに病院に連れて行って、治療してもらい、帰ってガーデンに離したら、もうすっかりなれたように、毎朝、玄関にやってきては「ごはんちょーだい」とせがむようになりました。

その後、チロはここが気に入ったのか、奥さんのタマちゃんを連れてきたのです。
そして、タマちゃんはすぐに子猫を生みました。
ベージュ色の男の子のコチロ、三毛猫の女の子のハーマイオニー、
ドリプレガーデンで幸せな家族でした。

チロの奥様の、タマちゃん
チロの息子、コチロ
チロの娘、ハーマイオニー

子猫たちが大きくなってから、タマちゃんと一緒に病院に連れて行って、全員、手術をしました。
なので、ドリプレガーデンで唯一子供を生んだ猫はタマちゃんだけなのです。

自宅を建てた翌年、奥の北の森に馬小屋を建てました。
といっても、アメリカからキットを取り寄せて自分たちで建てるというとんでもないことを始めてしまったものだから、それはもうたいへんでした。
馬小屋と言っても、馬が住むのではなく、事務所兼倉庫兼住居という建屋でした。

その頃、ガーデンづくりが佳境に入っていて、毎日やることがありすぎて、東京の会社と房総半島のガーデンづくりでくたくたになっていました。
ついにせつさんが会社に行かない宣言を出して、すべての仕事を馬小屋の事務所でやるというとんでもない決断をしたのです。
ちょうどその頃、インターネットが充実してきていて、デザイナーだったせつさんはネットで仕事をこなしていました。

僕はといえば、まだ会社に通っていて。2足の重たいわらじを履いていました。

ガーデンは着々と出来上がっていきました。
チロ一家も幸せに暮らしていたのですが、ある日、凶暴は野良猫、ニャジラが現れたのです。


チロは家族を守るため、小さい体なのに、倍くらい大きなニャジラと毎日、大喧嘩をしていました。
そんなことがしばらく続いたある日、あれほど喧嘩していた、チロとニャジラがいつの間にか、仲良しになっていたのです。

本当に不思議なこともあるものですね。


一方、モイちゃんはピピと、まったりと暮らしていたのですが、ある日、僕たちの足元にきて、「おしっこがでないの」と言いに来ました。

顔を見上げて、おしっこをするふりをするので、すぐにわかりました。
あわてて病院に連れて行って精密検査をしてもらったところ、結果は望ましいものではありませんでした。

その後、しばらく入院していたので、見舞い行こうとしたある日、病院から電話があって、いま、虹の橋に旅立ちました、とのことでした。

悲しみにくれている暇もなく、こんどはピピちゃんがあとを追うように、同じ腎臓の病気で入院、モイちゃんの待っているお空に行ってしまいました。


ガーデンでは、地元の人たちが手伝ってくれるようになって、急ピッチで造園が進んでいました。
チロ家族も、ガーデンのスタッフの皆さんに可愛がられて、それは幸せな時代でした。

2010年のガーデンオープンの直前の頃でした。
ガーデン作業を手伝ってくれていた地元の方が、チロの倒れている姿を見つけたと知らせてくれました。

ガーデンの奥の方で、横たわっているチロをみつけました。
すでに冷たく固くなっていました。イノシシの獣道に続く道でした。
チロは果敢にイノシシと戦って命を落としたのです。

チロの遺体を埋めたお墓に、ニャジラがしばらくたたずんでいた姿を今でも思い出します。


奥さんのタマちゃん、ハーマイオニー、コチロは、それでも元気に暮らしていました。

ガーデンをオープンしてから、ドリプレの猫は、ニャジラ、タマちゃん、コチロ、ハーマイオニーになりました。

初代ガーデンパトロールの名誉隊長は、チロになりました。
その任を受け継いだのが、ニャジラです。
この頃のニャジラはすっかり凶暴性がなくなって、ただの甘えん坊になっていました。

その頃、僕も東京の会社に限界を感じていて、房総半島の山の中にいる時間が多くなりました。
結局、会社を若い社員に譲って、会社で飼っていた白猫のおばあちゃん猫のメイちゃんを引き取ることにしました。

すでに20歳近いメイちゃんだったので、ほとんど一日中寝ているのが仕事でした。


園芸雑誌の「ビズ」で取り上げられたこともあって、ガーデンにはたくさんのお客様がいらっしゃいました。

お客様が増えて多少の知名度が上がってきたこともあってか、猫を捨てる人が続出したことには、本当に困りました。

そして、ガーデンのオープンの翌年、あの忌まわしい災害が起こったのです。

※次回に続きます


過去の猫たちのお話はこちら
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※ここで強いお願いです。
毎年、毎年、ガーデンに猫を捨てていく人が後を絶ちません。山に捨てられた猫たちの大半は助かりません。うちのガーデンで幸せに暮らせるというのは幻想です。それはごくごく一部の運のいい猫たちだけです。このブログに登場することもなく、野生動物やカラスに襲われて、虹の橋に旅だった子たちもたくさんいます。かろうじて保護できた子は少数なのです。私たちもいつの間にか年をとりました。最後まで面倒を みることはできないので、このお願いをしています。

絶対に猫を捨てるのはやめてほしい。
それは動物愛護法に反する犯罪行為です。

苦慮した末、ガーデンのまわりには防犯カメラと防犯センサーを設置しました。万一、見つけた場合は証拠として警察にお渡しします。
※どうしても育てることができない猫がいた場合は、今は必ず地元に「保護猫団体」さんがあります。そちらにご相談ください。

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