毎週火曜日12:30、英国からの新着アンティーク公開。

【緊急寄稿】ウメさんが虹の橋に旅立ちました

<2024.5.10>

久しぶりのドリプレの猫ブログですが、残念ながら、悲しいお知らせになりました。
かねてからの闘病中だった、ウメさんが、5月7日(火)の明け方、虹の橋に旅立ちました。

かねてから、甲状腺と肝臓が悪く、長い間、病院に通っていました。
それでも治療の甲斐があってか、食事もどんどん食べるようになって、せつさんとよかったねと、喜んでいた矢先、突然、何も食べなくなってしまったのです。

何があったのかわからないまま、市川先生の元に連れて行ったのですが、予想に反して、「急性腎不全」ということでした。

でも不思議なことに、あれほど手こずっていた、甲状腺と肝臓はすっかり良くなっていたのです。

それからは、腎不全との戦いが始まりました。

とにかく、ほとんど食べることをしなくなって、水しか飲みません。
幸い、おしっこはたくさん出ていたので、なんとかがんばれたのかな。

1回目の入院の後、馬小屋の2階に戻ってきたウメさんはかなり元気になっていて、爪をといだり、少しは走ったり、相変わらずご飯は食べようとしないので、病院からもらった缶詰を注射器に入れて、口の中に入れてあげました。

毎日の点滴が必要なので、毎日、この山の中から市内の病院までウメさんを連れて行くことが日課になりました。

上の写真は一回目の入院のあと、連れて帰ったときのものです。

この頃はまだ顔つきもよく、ふっくらとしていたのですが、この後、みるみる痩せていきました。

2回目の入院のときに、体重が1.8kgまで落ち込んで、みるからにつらそうでした。

何度も最近のウメさんの写真をと思ったのですが、
あまりにも悲しくて、撮影することができませんでした。

だから、この1ヶ月のウメさんの写真はないのです。


結局、3回目の入院の後、大型連休に突入することになって、ガーデンがとても忙しく、その合間に点滴のためにウメさんを病院に連れて行ったのですが、毎日通うことがきつくなって、ついに4回目の入院となったのでした。
今となってはそれがよかったのかどうか・・・

でも市川先生は本当に親身になってくれて、深い愛情でウメさんを診てくれました。
感謝しかありません。

じつはこのブログを書く前に、「猫と薔薇の日々」の中の「ウメさんの物語」をリンクしようと思い、探したのですがみつからなったのです。

なんとも僕は大馬鹿野郎で、ウメさんの物語の掲載を忘れていたのです。
そのせいで、ウメさんが早くに旅立ってしまったのではないかと自責の念にとらわれています。
まったく僕は大馬鹿野郎です!

ウメさんがドリプレにやってきたのは、2017年の3月頃だったと思います。
イギリスでの買付から帰ってきてしばらくしたら、見たことのない三毛猫が馬小屋の軒下にいるのを見つけました。

とにかく全身がボロボロでガリガリに痩せていて、すっかりおばあさん猫だと思ったのです。
そんなこともあって、梅の花が咲く季節だったのとおばあさんと思っていたので、せつさんと、ウメさんと名付けました。三毛猫のおばあニャン。

さっそく、市川動物病院に連れて行って、避妊の手術をして、ワクチンを打ってもらって、健康診断をしてもらったのですが、特に問題はなかったのです。
ただ、痩せていて汚れていただけだったのですね。よかったね。

しばらくはガーデンパトロール隊の隊員たちと外で暮らしていたのですが、どうやら厳しいパトロール隊の規則に馴染むことができなかったようです。

様子が変になってきて、ひきこもるようになりました。
馬小屋の玄関前に置いてあった猫小屋に一日中ひきこもっていて、他の猫が近寄ってくると、シャーシャーと威嚇すようになって、顔つきも焦点が定まらない目が少し異常でした。

これはいかんと、せつさんと相談して、馬小屋の2階で僕たちと暮らすようになりました。

ちょうどその頃の僕たちは、モイちゃんもピピちゃんも虹の橋に旅立った後で、何十年ぶりの家の中に猫のいない暮らしだったので、ウメさんを受け入れるタイミンがちょうどよかったのです。

ウメさんはすぐに僕たちとの暮らしに慣れました。

せつさんが買ってきくれたサケのおもちゃが大好きで、よく遊んでいました。

きれいな香箱座りがウメさんの得意でした。
いつも、こうして香箱座りでまったりとしていることが多かったです。

冷蔵庫の上のバスケットがお気に入りで、ここに居座って外を眺めるのが日課でした。

結局、ウメさんとは5年くらい暮らしのかな。
めったに鳴くことがなくて、上品でおとなしい子でしたね。

ご飯のときだけ、上目遣いで小さな声で「にゃー」と鳴くのです。
これが、本当に可愛くて・・・(親ばかですね)

こうして元気な頃のウメさんの写真を眺めていると、いろんな思い出が蘇ってきて胸が痛いです。

いい猫ちゃんだったなあ。

市川動物病院にウメさんを迎えに行きました。
からだはまだ柔らかくて、ほんのり暖かかったです。
本当に寝ているようで、今にも起きてきそうな気がしました。

せつさんがガーデンのバラやボタンを摘んで来て、棺におさめました。

どうして、大切な人や、大切な猫たちはみんな、バラの季節に旅立ってしまうのだろう。
花が咲き始めたガーデンに立つと、大空を元気に走るウメさんの姿が見えてくるようでした。

今年は睡蓮が咲き始めるのが遅くてやきもちしていたのですが、ウメさんが旅立った日から池の睡蓮が咲き始めました。

馬小屋の奥のドリプレの猫たちのキャットセメタリー、
いちばん手前の新しいお墓がウメさんです。
いつの間にか、墓標も10個になっていました。

あらためてそんなにたくさんの猫たちを見送っていたのかと、改めて涙が流れました。

今頃は、ドリプレ虹の橋支部で、ウメさんは先輩猫たちと元気に走り回っていると思います。
たくさんの悲しみを超える、大きな喜びをありがとう。ウメさん、本当にありがとう。

過去の猫たちのお話はこちら
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※ここで強いお願いです。
毎年、毎年、ガーデンに猫を捨てていく人が後を絶ちません。山に捨てられた猫たちの大半は助かりません。うちのガーデンで幸せに暮らせるというのは幻想です。それはごくごく一部の運のいい猫たちだけです。このブログに登場することもなく、野生動物やカラスに襲われて、虹の橋に旅だった子たちもたくさんいます。かろうじて保護できた子は少数なのです。私たちもいつの間にか年をとりました。最後まで面倒を みることはできないので、このお願いをしています。

絶対に猫を捨てるのはやめてほしい。
それは動物愛護法に反する犯罪行為です。

苦慮した末、ガーデンのまわりには防犯カメラと防犯センサーを設置しました。万一、見つけた場合は証拠として警察にお渡しします。
※どうしても育てることができない猫がいた場合は、今は必ず地元に「保護猫団体」さんがあります。そちらにご相談ください。

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